実力も運のうち

NHKの白熱教室でもお馴染みであるマイケルサルデス先生の名著の一つ。

アメリカの学歴社会に一石を投じた作品。

一流大学に入って、一流企業へ就職できている人の中には、これらのことは自分の能力で叶えたと考えている人が多い。しかし、一流大学、企業へ入るのは必ずしも本人の能力だけが関係しているわけではないことを本書では記している。

STUという大学へ入る為の共通試験がアメリカにはある。この試験に関して、とある大スキャンダルがあった。

お金を払えば一流大学へ入ることができる点数までSTUの点数を上げるという不正が行われていたのである。

実際ににアメリカのお金持ちの中には、膨大な資金をはたいて、STUの点数を上げて自分たちの息子や娘を一流大学へ入学させている人が多数いたのである。

お金をもらった企業は試験官を買収し、STUの点数を上げさせた。

その中には国民がよく知る大物芸能人の名前もあり、全米で大問題となった。

これほどの不正の話でないにしろ、アメリカでは大学へ対する寄付金の金額の大きさで、その大学に息子や娘が入学しやすくなることがわかっている。

また、子供に対して、大学入学時の採点に有利になるボランティア活動やスポーツをを行わせたりして、幼い頃から大学進学を見据えた取り組みにお金をかけて行わせるのである。

この本では、基本的にアメリカの学歴社会の話をしているが、同じことは日本社会でも当てはまることがある。

収入の大きい家庭では専門の塾に子供を通わせてお金をかけて大学入試に有利となる様な対策をとるようなこともやっている。

東京大学に進学する人たちの親の年収は一般的な年収よりもかなり高いことは言われている。(年収1000万円を超えている世帯が半分以上)

子供たちは自分の実力で大学に入って、一流企業へ就職できたと考えているが、それは考え方によっては、自分がたまたまいい家庭に生まれたからにすぎないということとも言えるのである。

親の潤沢な資金を使用して、塾へ通わせてもらい、学費の高い私立の中高一貫校を受験する。

そのためには教育資金が潤沢にある裕福な家庭に生まれる必要がある。

これがこの本のタイトルでもある「実力も運のうち」という意味である。

東京などでは中学受験はもはや一般的であり、東京大学の入学者ももはやほどんどが東京の私立中高一貫校(しかも男子校)の出身者である。

地方の公立高校の出身者の数はかなり少なくなってきており、これから見ても私立の中高一貫校に通わせることのできる家庭ではないと東京大学へ行かせることは困難と言ってもいいかもしれない。

つまり、中学受験を行い、私立の中高一貫校へ通わせれる資金的な体力が親にないと東京大学へ合格させることは困難であると言えるのである。

この本を読んだ時点で、私の娘は5歳である。

これから教育にはある程度力を入れていこうと考えてはいたが、本当にいい大学へ行くことがその子の為になるのかは改めて考え直す必要がある。

アメリカではエリート教育が正義であるとされている文化もあるが、トランプ大統領が登場した当時は、そのエリート階級に対する一般階級の不満があったとされる。

日本ではこれまで国民総中流社会をうたっていたが、この10年では格差社会が広がってきたとされる。

一部のエリートだけが富を牛耳る社会構造となってきているのである。

また、偏差値の高い一流大学も同様にエリートを生み出す機関としてみられている。

そこへ、アメリカ同様エリート社会への疑問を日本の一般階級の人たちが疑問を持つことになるであろう。

さらに、これまでの社会構造は変わりつつある。

これからの社会では、終身雇用は終わる(トヨタの社長も言ってる)。

たとえ一流大学に入って一流会社に就職できたとしても、将来安泰とはいかない世の中になると、個人の稼ぐ力が重要視されてくるであろう。

これまで一部のエリートが支配していた社会は終わりを迎えることになるかもしれない。

これらの変化を見据えて、今自分たちの子供に何を教えなければならないか改めて考える次第であります。

本当にエリートを目指すべきなのか?

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